顔に責任を持つ


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 かのリンカーン大統領も言っていた、自分の顔に責任を持てと。政府の人事で推薦された男の顔を見てあいつはダメだと自分の判断で、周りから薦められた人物をバッサリ不採用にした理由として顔がダメだと言ったとか。

 観相師の様なその判断は恐らく正解だと思います。

 顔は自分で造って行くもので、それは本人の責任だと思うからです。整形も流行っていますがその顔がうまく馴染んで綺麗に歳を重ねられたら其れはもうしっかりとその人のもので、逆にお直しを続け苦しい思いをしたり納得出来ない、却って元の方が良かったと後悔しても自分の責任、そしてその顔が間違い無く自身の顔だと思うのです。

 

 同じ顔の人物でも生活習慣で顔が違って来るのは、一卵性双生児の実験で結構知られた話だと思います。

 本当にその通りだと納得する実体験が私には有ります。

 以前の記事にも書きましたが、母の背中に背負われて笑っている赤ん坊の時の私の写真を見て、娘が「お母さん?」と聞いて来たからです。直ぐに「おばあちゃんの若い時の写真だよ~お母さんが赤ちゃんの頃のだよ」と教えました。

 母と私は顔は似ているのにかなり違う印象を周りに与えているようなのです。

 例えば、今の私の年齢の頃母は20才位年上に見られ、私は10才以上若見られます。同じ様な顔なのにその差30才!子供の時の授業参観なのでは「お祖母ちゃんに来て貰ったの?」聞かれる始末です。

 いつも俯いて暗い顔、自分の意見を言わずただ仏壇の前で経を唱え、子供の前だけ愚痴を言い続け我慢を美徳と思い込み、毒な義実家の言いなり…そりゃ老けるよな~と。

 

 私の方は子供の頃は母に似ていると言うことでかなり嫌な思いをしました。父似の姉は美人だね~とよく褒められその後私を見ると庶民的な顔だね~と濁されました。小学校では一度ブスチャンピオンの名を頂きました。細い目に上を向いた鼻、下ぶくれの輪郭…せめて鼻の穴が目立たない様に口の口角を上げて笑顔の練習と鼻を高くしようと手でつまむ癖が付きました。

 ああ私は結婚は無理だな~と諦め気味でどうせ私なんか誰も相手にして貰えないし一人で生きていける様にしっかり稼いで自立しなければ!と中学卒業と共に家から離れ只がむしゃらに生きていると、あら不思議体を動かすので痩せてきて、成長と共に顔が伸びて輪郭が整い始め、肉に埋もれていた目も多少は大きくなってきました。そうなると「さっき見た?可愛い子だったよな。」とすれ違う男子高校生グループ、病院の受付では「綺麗な人だね~」と、フランクなおじさんだと「よく美人って言われるでしょう?」etc…どこの平行世界?な状況に変わってきました。更に年齢を経ると実年齢を知った人は必ずビックリされます。顔の造りは母に似ている筈なのに、考え方、行動、生き様でここまで差がつくとは!

 

 全ての不幸は他人のせい、それと自分の信心が足りないせい、お金に執着し周りの評価に振り回され、心の底では信者以外をバカにしているその性根!母の顔に出ちゃってます。

  一方自分の頭で考え、ズタボロに成りながらも本当の自分に向き合い懸命に生きてきたと自負が在る私の顔は、他人がどう評価しようが自身が好きな顔です。(ここの所が一番重要かも)そして有難い事に他の人からもキレイだと褒めて頂けます。

 若い内は元の造りで助けられていても、歳を重ねる程にその人なりが出てきてしまう顔は(厳密にいえば言動や声音も見なくてはいけませんが)その人を知る大きな材料の1つであることは間違いありません。そうです。自分の顔に責任を持ちましょう。