自分に嘘を付く事

 

 最初の結婚が失敗に終わった。今になって在る意味気付きの切っ掛けを作ってくれた事で、とても意味が有ったと振り替えって見て思います。

 

 当時の私は、自分自身の家族が欲しくて(自分を受け入れてくれる場所が欲しくて)焦っていたと思います。

 相手からの強いアプローチも有り付き合い始め、気が付けばデキ婚という形になってました。(俺の事が本当に好きなら全て受けいれてくれ、と言うのが相手のスタンスでした)

 

 自分の家族が欲しい私の望みは叶いましたが、本当にこの人で良いの?と言う自分のもう1つの心の声は無視しました。

 私の所謂毒親と同じ宗教団体に属して、真面目に働く良い旦那さん。親も喜び、順風満帆な生活が続くと思っていました。

 

 ところがどっこい、自分に嘘を付いて生きているのに事が上手く運ぶ訳がありません。自分に嘘を付く=自分を大切にしてない、ですから。

 

 事あるごとに良く喧嘩をしました。それでも同じ宗教活動をして同じ方向を向けば幸せになれると信じて結婚生活を継続していました。しかし心が苦しいのです。本当はやりたくもない宗教活動、それに伴う人付き合い、元夫からのモラハラ…毎日が楽しくない(辛いとかではなく、半分死にながら生き続けているような…)これってなんか違う、なんかおかしいと気付いた切っ掛けは夫からの在る一言でした。

 

 

夫の友人でその奥さんとも面識が有る方の所へ元夫が遊びに行き、帰って来てからいかに友人の奥さんが出来た人で、お前には無理だろうと言った一言です。

 それまでも他の元夫友人の女性と比べて顔が良くない、スタイルも良くない、何か資格も持っていて稼いでる訳では無い…etcいろいろ言われて来ましたが、さすがに相手奥さんも私が知っている人でその人が良い人何て知っているし、その人と比べるなんて酷い!(全く知らない面識が無い人なら、そうかも知れないね~と流せるのに)

 

 それからもギクシャクしながらも、結婚生活をズルズルと継続してしまった…数年経ち子もある程度大きくなり、思いきって働こうと決め選んだ先は元夫が女のお前には体力的に無理だろうと言って馬鹿にしてきた職のところでした。元夫に対する反発心で選びましたとも。パートで少ないながらもお金を得て、宗教活動からもある程度離れる事も有り、体的にはきつくても心は非常に楽でした。

 

  叩かれ覚悟で書きますが、ある人とその時点で交際を始めました。自分が求められている、つまり愛されていると勘違いをここでも起こします。自分自身を愛さない限り、外に愛してクレクレと求めても永遠に彷徨うだけなのに…この時の私は全く気付いていません。

 そこから更に数年経ち、すったもんだのあげく離婚し、交際していた相手とも別れました。